中国にみる共産主義というもの

中国のかつてのナンバー2が突然死去したことに伴い、社会主義・共産主義のありようがいやましてひしひしと感じられる昨今だ。中国共産党の結党は1921年7月。日本共産党の結党は1922年7月。いずれもコミンテルン中国支部・日本支部として結成された「兄弟党」だ。中国では共産革命が成功し、政権与党として君臨してきたが、日本ではこの101年間、国政与党に一度も入ることができず、「万年野党」でしかない対照性がある。

日本共産党は中国革命が成功したあとの中国を「地上の楽園」のごとく天まで持ち上げた時期がつづいたが、その後、特に近年になって中国の覇権主義がまざまざと明らかになるにつれ、「中国は社会主義の国ではない」と過去の発言とは180度異なる主張(言い訳)を始めて現在にいたる。そのようなヘンテコな主張を行わないと、自らの存続が論理的に正当化できないからだろうが、その意味ではわかりやすい「非科学的」な行動といえる。

李克強前首相は中国の中で最も優秀なテクノクラートだったが、平たくいえば勉強ができた秀才で、習近平氏ほどの辛酸をなめた苦労をしていなかったという差があったのだろう。国家のトップに立つという段階で、長老クラスへの「あいさつ回りに余念がなかった」習氏と対照的に、李氏はそれを怠り、「(長老らの)評価が逆転した」というのが本日付読売の解説だ。李氏が逆に中国のトップに就任していたら、いまとはまったく違う中国の姿になっていたことは想像にかたくない。首相に就任した2013年以降、李氏が習氏の暴走に歯止めをかけることができなかった、ブレーキ機能を果たせなかったという解説記事がめだった。その意味で、習氏と似たような独裁的指導者であった毛沢東に仕えたナンバー2の周恩来元首相とよく似た境遇にあったと見られるが、その行動は周氏とも対照的だった。周元首相が人民のために死ぬまで「奉仕」する姿勢を貫いたのに対し、李氏は執行部に残ることもできたのに自分から嫌気がさして辞めてしまった(本日付読売)。

いずれにせよ、中国政治の独裁暴走は当面、今後も止まることはないだろう。その国家とどう折り合いをつけ、「地球益」のために善導・協調できるかどうかが日本外交の試金石だ。

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