半藤一利史観の重要性

佐渡金山をめぐる安倍・高市の「歴史戦」を見るにつけ、史観が大事だと叫ばれた第2代会長の言葉を重く受け止める。歴史は後世の人間が自由に改竄していい代物ではなく、事実を事実として受け止め、そこからさまざまな教訓を引き出し、次の世代に生きる者たちが同じ失敗や迷いをなくすようにするための智慧ともいえる。だがその価値がわからない者たちは、自分たちの都合のよいように歴史を書き換えようとする。現在、よく売れていて、マスコミでは一切取り上げられない百田尚樹著『日本国紀』などはその典型だろう。日本が昭和の初めに道を間違ったとされる象徴的な事件・関東軍(旧日本陸軍)による張作霖爆殺事件(昭和3年)をソ連謀略説に書き換え、旧日本軍による南京大虐殺(昭和12年)も都合よくなかったものに書き換えるまぎれもない“パロディ日本史”だ。歴史の前に謙虚であるどころか、一介の作家にすぎない男が歴史よりも高みにたったおそるべき好例ともいえる。またこうした態度こそ、戦前の旧日本陸軍の悪しき慣習を踏襲する典型ともいえる。昨年1月に亡くなった歴史家の半藤一利氏は、戦中世代を代表して自らの実体験をもとに、日本の昭和史をどう見るべきか、どのような教訓を学びとるべきか、多くの書物を遺した。最近も『日本人の宿題』というわかりやすい新書が出されている。そこで半藤史観の最大の特徴として挙げられているのが「歴史の前に誠実であれ」という同氏の教えだ。結論からいうと、半藤史観を受け継ぐことが、日本の未来を正しく広げることにつながる。政治の果たすべき役割は、日本の公教育に正しい近現代史を教えるように位置づけ、歴史の前に誠実な国民・市民を養成することに尽きる。これは本来であれば公明党がなさねばならない最重要の仕事であると確信してやまない。

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