武蔵野市議会条例が示しているもの

本日付の朝日新聞社説に武蔵野市の住民投票条例案が取り上げられていた。21日に武蔵野市議会の本会議で採決される予定だが、公明党は本会議採決に先立つ委員会採決においてこの条例案に反対姿勢を示した。この20数年の経緯を知る者として、残念でならない。

公明党においてこの法案をもっとも強力に推進したのはかつての冬柴鉄三幹事長(当時)だった。関西で弁護士時代を経験した同氏は在日コリアンの権利事案に関わることも多く、この問題に真摯に取り組んだ。98年に新党平和(当時の公明党衆院勢力)と民主党が共同提案の形でこの国で初めてとなる外国人地方参政権の法案を提出して、すでに23年がすぎる。欧州では常識として制定され、アメリカでも地域によっては取り込まれている一種の普遍的な法案だ。だが外国人に権利を与えると日本人が危害を加えられてしまうと頑なに信じる日本人特有の「島国根性」がむっくりと起き上がるのが、当時は日本の極右勢力が反対を鮮明にした。同時に北朝鮮の動向が国民世論に否定的な影響を与えた。その後、民主党政権になった時代にこの法案は「成立直前」の状況に至ったことがある。そのころからすでに日本の国家主義化は進んでおり、近年は無認識から生じる反対世論が増え、それに迎合する形で、公明党はこれまでの路線を変え、武蔵野市においては自民党と歩調を合わせて反対に回った図式に見える。だがこの問題は民主主義の根本原理に関わる問題にほからなない。さらに同党が中心的に進めてきた政策に関連する内容である。

話は飛ぶが、かつて国家神道政府によって、神札強要に反対したのは創価教育学会の牧口常三郎だった。一方、国家の権威に迎合して受け入れたのが日蓮正宗宗門だった。牧口はこの時代に「国賊」となり、葬式でも人は集まらなかった。だがこの牧口の信念の行動があったがために後年、創価学会は時の会長が軍部政府と戦った団体、平和団体と規定されるようになり、近隣諸国からの信頼も得られやすくなった面がある。ひとえに、当時の牧口会長にとって「譲れないものは譲れない」「時代を開くためには信念を曲げない」という行動がもたらしたたまものだった。目先の評価よりも、自らの本然的な生き方を貫いたわけである。

私は現行の武蔵野市議会の公明党の行動を、この牧口の行動と重ね合わせて考える。

(社説)住民投票条例 共生社会を築くために:朝日新聞デジタル (asahi.com)

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