東京武蔵野市の外国人住民を住民投票に参加することを認める条例案の問題で、かなり久方ぶりに外国人参政権の問題が話題にされるようになった。ある意味で好ましいことだ。日本の選挙制度はいうまでもなく、戦前は男性のみ、しかも納税額の多寡で選別しスタートした。それがやがて一定年齢以上の男性全員に及び、戦後は外国勢力の意向で女性全員に拡大された。このように有権者の対象は時代によって変化してきた。年齢も20歳から18歳に緩和されている。要するに変化の連続だ。
交通の発達によりこれだけ人の移動が活発になると、外国人の扱いが課題になる。彼らは日本人と同じように「納税」の義務を果たす存在だ。日本人以上に多くの税金を納めている人も多くいる。そんな外国籍住民に、地方選挙権(東京でいえば、都議会選挙や市区町村選挙、都知事選挙、区市町村長選挙)の選挙権を認めるのが外国人参政権だ。公明党は98年の法案提出にあたり、外国人の中でも永住権を取得している「永住外国人」に限ることで制度化をめざした背景がある。いま武蔵野市で問題になっている条例案は、この選挙権ではなく、住民投票の権利のことで、さらに前段階の権利にすぎない。こういう問題が浮上すると決まって騒ぎだすのは、日本のネット右翼だ。彼らは外国人に権利を与えると一致団結して日本人に危害を加えるという頑なな「妄想」にとりつかれている。だがそうした考えが現実に即していないことは常識ある人間ならわかっている。要は時代の流れの中で判断すべき問題だ。結局、日本を前に進めたいのか、後ろに進めたいのかという概念に帰着する。