左右に通じる反知性主義

一般に反知性主義というと、歴史や事実などを自分の見たいように見る態度のことを指す。そこには客観公正な史実ではなく、自分の思い込みや妄想が入り込むことになる。例えば旧日本軍が日中戦争における南京攻略戦(昭和12年)に際して行った万単位の不法殺戮や集団レイプ行動について、日本の右派勢力は過小評価し、櫻井よしこのようなひどい例になると「濡れ衣」とまで主張する者まで現れている時代だ。歴史的な史実ではなく、自分の見たいように物事を見る態度、つまり彼女の場合に見られるように「日本人はそんなひどいことはしない」という単純な空想的な思い込みのことを指す。だがこれは右派だけの悪弊とは限らない。対極の政治的立ち位置にある左派にも同じことが言えるからだ。その典型的な事例が、「日本共産党は清潔な党であり、平和主義の党である」とする同党のプロパガンダのことだ。だがこれらの主張は、同党の歴史を史実に即して冷静に踏まえれば、むしろ逆であることに気づくことになる。これは自分の見たいように見るというよりも、同党が自分が見せたいように見せている宣伝に、受け手が影響されている(騙されている)事例といえる。反知性主義の研究者は、両方を対等に見る視点がないと、片手落ちといわれても仕方がないだろう。

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