「日本の前途は日本共産党の躍進にかかっている」(10月3日付)
「党の歴史で初めて新しい政権の実現に挑戦」(10月4日付)
「党の歴史上初の挑戦」(10月5日付)
「党の99年の歴史で政権協力の合意を得て総選挙を戦うのは初めて」(10月7日付)
いずれもここ最近の「しんぶん赤旗」の見出しである。この選挙で大勝利して政権交代が実現すれば、われわれ共産党も政権運営に初めて関与できる!
その意味で、党の99年間の歴史において初めての快挙ということらしい。
だがこの党はその存在基盤に大きな疑念が投げかけられている。なぜなら「政党の命」(『綱領教室・第1巻』志位和夫著、2013年)と志位委員長が自ら語った「綱領」が、やましいものであるからだ。
同党の過去には複数の綱領が存在するが、その中で都合の悪い綱領(=51年綱領)について、過去になかったものとして否定する態度がすでに鮮明になっているからだ。志位氏の言葉を借りれば、自ら「政党の命」を都合よく抹殺している態度にほかならない。
すでに何度も繰り返しているとおり、暴力革命を説いた「51年綱領」は、当時の日本共産党が採択した「正式な綱領」にほかならない。実際のところ、1955年にいたっても、宮本顕治元議長は、この綱領を「かがやかしい綱領」などと天まで持ち上げていた。なぜなら当時の共産主義者にとって、革命に暴力が伴うことは「常識的事柄」にすぎなかったからだ。
だが民主主義化した戦後日本では、この考え方を受け入れる土壌はもはや存在しなかった。そのことを自覚した宮本らがとった行動は、同党中央委員会が発行する『日本共産党綱領集』(1962年に初版発行)の中から、1970年ごろになって、こっそりと「51年綱領」を削除するという行動だった。身にやましさがなければ、このようなことはできるものではない。さらにほとぼりが冷めた93年になると、不破委員長・志位書記局長の体制もと、名称を「51年文書」と格下げし、さらなる歴史改ざんに手を染めた。
志位氏によれば、政党の綱領は「政党の命」にほかならない。志位氏はその「命」を、自ら都合よく改変し、抹殺してきた。これが日本共産党の本質的な姿である。
このような自語相違の政党が、「仮面」をかぶったまま、時の権力に関わるとどうなるか。当然、「仮面」はいつかは脱ぎ捨てられることになる。同党のかつての綱領が都合よく抹殺されたのと同じように、この国の政治、自由、民主主義なども、都合よく「抹殺」される運命となることは明白だ。そうした事例は、20世紀の世界に、ゴロゴロと無数に転がっている。共産主義政党の本質を軽く考えてはいけない。共産主義政党を含めた「野党共闘」など、茶番の中の茶番でしかないことを弁えるべきだろう。