日本を「つまらない国」に導いた政治的主張

警察小説を手掛ける今野敏さんが沖縄タイムス紙(8月19日付)で東京五輪について次のように書いていた。

「ともあれ、東京五輪が開催できてよかった。ひどい逆風が吹き荒れる中、よくぞ開催にこぎ着けたと思う。(中略)問題は多々あった。だが、これらは『やり方』の問題であって、オリンピックそのものが悪いわけではない。『開催反対』の声を聞くたびに、ああ日本はつまらない国にあったのだなと思った。『やり方』が悪いのなら、それを正せばいい。新型コロナはもちろん心配だが、それなら、『やめろ』と言うのではなく、『どうしたらより安全に開催できるか』をみんなで話し合うような社会であってほしいと思う」

 この文章を目にし、異論をまったく感じなかった。だが選挙戦で自らの主張を有利にするため、「開催中止」を声高に訴え続ける日本共産党のような政党もあった。コロナ病床がひっ迫する問題は、コロナだけの問題ではなく、従前からの医療行政が密接にからむ問題である。この政党はずっと以前から国会に議席をもち、医療行政を質すべき立場にあったはずだが、一方的に自分だけが「正義漢」ヅラし、一切の責任がないかのように振る舞うのはいつもの姿だ。歴史的にみれば、同党は今回の五輪中止の主張で大きな「墓穴」を掘ったと感じる。それは社会に協調してより建設的な方向をめざすのではなく、自分たちの政治的利益しか考えていない独善的な態度であり、「万年野党」に特有の行動ともいえる。それが「国民の命」という名目のもとに美化されるのは、実際は逆の行動をとってきた自分たちの行動を隠蔽・糊塗する意図が働いているものと見受けられる。

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