共産主義の夢と現実

本日7月15日は日本共産党の公式的な創立記念日だ。99周年の佳節という。本日付の機関紙「しんぶん赤旗」ではこの日をお祝いするための関係者の祝辞で埋められている。私見がまじるが、意外性のある人物は見当たらない。1面に2人、3面に9人が顔写真入りで99周年への祝いの言葉を述べている。1面の筆頭に出てくるのは、内田樹氏だ。そこで内田氏は次のように書いている。「カール・マルクスが今生きていたら中国の支配者たちを『マルクス主義者』とは認定しないだろう」。その上で、アジアにおける日本共産党の歴史的特性を語り、その翼賛に努めている。

このコラムで何度か書いてきたが、中国共産党と日本共産党は同じ両親のもとで生まれた真実の兄弟である。私なりの例えではあるが、父親はマルクス・レーニン、母親はコミンテルンだ。同じ親のもとで生まれ、当初は一緒に育てられたが、兄の中国共産党は現実に政治を動かす主体者となり、日本共産党は日本の国政においては「万年野党」を続けている、対照的な2つの共産党である。

中国共産党は現実政治を動かさないといけないので、現実に即して、柔軟に変化してきた。その変化の結果を、部外者が「マルクスが生きていたらマルクス主義者とは認定しないだろう」などと言うのは、現実を無視したたわごととしか思えない。

例えてみよう。同じ兄弟として生まれ合わせ、兄も弟と同じく成長を重ね、顔つきも体の骨格も変わってしまった。あるいは性格も変化したとする。その兄を見て、部外者の人間が、お前はもう〇〇一家の人間ではなくなったと言っているようなものだ。だが兄もまぎれもなく、共産党一族のなれの果てなのである。それがいいかどうかは別問題として。

同じことは日本共産党にもいえる。民主国家の形式をもつ日本国内で、ガラパゴス的に「独自進化」した同党は、一見すると「民主主義」を大事にしている政党に見えるかもしれない。だがこの党の歴史と現実の一端を知る者からすれば、その認識は大間違いとしか考えられない。

現実に隣国で「進化」した過程を認めず、自分だけが「正しい共産主義」という日本共産党およびその関係者らの姿勢は、「究極の驕り」以外の何物でもない。現実に対して盲目であり、なんらかの空想をあくまで信じ込んている姿にしか映らない。

その姿勢は、彼らが厳しく批判してきた、現実をごまかし嘘で固めた安倍政治とも何ら変わりないのである。

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