空手雑感 35

最近日本の空手を「ヤマト空手」と称することがある。松濤館空手も極真空手もその意味では「ヤマト空手」の典型だ。一方、「沖縄の空手」とは何か。これは現代の沖縄空手ともまた異なる。ヤマト空手の影響を受けていない、もともとの源流武術というような意味で使われることがある。「ヤマト空手」と「沖縄の空手」の最大の違いのひとつは、段級制度の存否だ。もともとの沖縄の空手武術に、このような概念はなかった。段級制度が取り入れられるようになったのは、大正年間に東京で空手普及が始まり、柔道や剣道と同じようにすべきと考えたからにほかならない。以来、この制度は日本から沖縄にも逆伝播し、沖縄には現在「10段保持者」が100人以上存在する悪弊が生じた。だから昇段や昇級に過度にこだわる姿勢は、「ヤマト空手」の影響と考えるほうが無難だ。昇給・昇段は日頃の鍛錬を試す一つの尺度にすぎず、それが大きな目的となった時点で、やはり競技・スポーツ化の影響と考えられる。「沖縄の空手」は本来、自分の身を守ることがすべての目的であり、たとえ黒帯であろうと、10段であろうと、その目的を達することができないのであれば、無用の長物にすぎない。

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