暴力団と変わらない共産党の過去

日本の中の唯一の革命政党である日本共産党は1951年、暴力革命を肯定する「51年綱領」を策定し、全党あげてテロ活動を推進した。一般党員に「火炎瓶」製造を奨励し、多くの警察官、税務署襲撃などに活用した。気に食わない警察官がいれば、地域党組織で共謀し、「殺害」を既遂した。政党にとって綱領は「憲法」のようなものだが、いまこの政党は当時の「51年綱領」をどのように扱っているか。単なる「文書」として取り扱っている。

同時代においてはレッキとした「綱領」であったものを、大幅に格下げし、単なる歴史的文書として取り扱っているのだ。都合が悪くなれば、憲法を紙切れ当然にして胡麻化してしまう。こんなやり方を平然と行う政党が、日本共産党という政党の本質ともいえる姿である。

当時の同党の暴力革命路線は、この国の将来に大きな悪影響を与えた。共産党のやり方には飽き足らない「新左翼」が出現し、暴力の拡大連鎖が起きたからだ。その後の連合赤軍、日本赤軍、中核・革マルの内ゲバ殺人――。それらの淵源をたどれば、歴史的にはすべて日本共産党の暴力路線に行きつく。

私が同党を「平和の党」どころか、「暴力の温床」として正しく評価するのはそのためである。だが公明党の党幹部をかつてつとめたような人間でも、その程度の歴史認識すら持ち合わせていない。二見伸明のような浅はかな元議員を生み出したのは、公明党の恥辱といえる。

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