寺信心から脱却した創価学会

1991年、創価学会が日蓮正宗から破門されたとき、宗教団体間の紛争のように騒いだマスコミがあった。だが実態は、風紀の乱れを指摘された日蓮正宗宗門が、正論を述べる創価学会をうとましく思い、適当な理由をつけて切り捨てたというのが本質に近かった。当時の日蓮正宗の法主(代表者)は阿部日顕で、この人物は日蓮正宗の初の海外出張御受戒に派遣されながら、夜中にこっそりとホテルを抜け出し、女を買いに行くような有名な放蕩坊主だった。その事件は後年、シアトル事件として明るみになり、阿部自身、3回にわたり東京地裁の法廷に出廷することになった。言っておくが、日顕サイドが自ら起こした裁判である。その裁判で同人は「知らぬ存ぜぬ」を繰り返したが、裁判所はそれらの言い分を「ウソ」と一蹴した。とんだ恥さらしな宗教者もいたものである。こうした人物を持ち上げ利用してきたのが、日蓮正宗妙観講で、大草一男という人物が代表を務めていた。話は戻るが1991年に、創価学会が日蓮正宗と切れて最大によかったことは、寺信心から脱却できたことである。宗教の権威(衣の権威)から離れ、それがそのまま世界宗教へのパスポートとなった。その後のSGI(創価学会インタナショナル)の世界規模での発展と、日蓮正宗の凋落ぶりを比較すれば、そのことは明々白々だ。阿部日顕が日蓮正宗を壊した――。これは歴史的な事実であり、その弟子たちが、今の日蓮正宗妙観講である。

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