東西冷戦構造が生んだ原発「出発点」の誤り

戦後、アメリカとソ連の2大国が覇権を争った時代があった。核兵器において先行したアメリカだったが、ソ連は意外に早く後追い開発を完成する。さらに多くの分野で競争を行った。宇宙もその大きな分野の一つだった。当初は人工衛星などで先行したソ連だったが、その後の月面着陸ではアメリカが圧倒的に勝利した。そうした開発競争の一つに、原子力発電もあった。1954年、ソ連は世界で実用として初めての原子力発電所の操業を始め、当時まだソ連共産党に隷属していた日本共産党は、アカハタ紙上で勝ち誇ったように大々的に宣伝した。その後、イギリス、アメリカと商用原子力発電が続いたが、日本もその一つだった。日本では自民党政権がその推進を担った。東西冷戦構造の中で「原子力の平和利用」の美名のもとに開発されたのが原子力発電だった。よく知られるとおり、発電において出てくる放射性廃棄物の処理方法を確立しないまま、「いずれ将来開発されるだろう」との安易な観測のまま、いまもこの方法が世界で続けられているのが実態である。要するに順序はまったくの逆だった。本来処理方法が確立されてから、初めて行なえるはずのものだったのが、逆にそうならなかったのは、東西の覇権競争が冷静な行動を無視させた結果ともいえよう。要するに、行け行けドンドンだった。それがいまも続いているというのが実態だ。人類初のソ連の原発操業から65年――。人類(ホモサピエンス)はその歴史的経緯を振り返るとともに、素直に方針転換を図るべきではないのか。歴史的にみれば国内的にはその責任の大半は自民党にある。同党の中から、原発廃止にカジを切る政治家が出てくることが望まれる。

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