足軽3人組のよって立つ動機とは?

最近創価学会総本部前でサイレントアピールなる行動を繰り返している元創価学会員を中心とするグループがある。「安保法制反対」などの政治的プラカードを持っていたりするので、公明党の政策に批判的なグループの抗議活動と錯覚する人も多いようだ。ところがその活動の中心者たちの思惑は実はそんなところにあるわけではない。私はこの中心者らの行動を取材するようになって2年近くになるが、彼らの思惑はまったく異なったところにあるようにしか見えない。

現在、名前を出して中心的に動いているのは3人だ。名前を小平秀一、滝川清志、野口裕介といい、金曜日という出版社から自己宣伝のための書籍も出している。ただし彼らは「表の顔」にすぎず、裏で仕切っているのは、福岡大佑という名の別の人物とされる。現在、彼らは川崎市の同じ地域内に居住しているとされ、事実上、一心同体だ。

すでに40代に入りつつある彼らの問題行動の原点は、およそ20年前の川崎学生部時代にある。布教活動に熱心なあまり、後輩会員に活動するよう厳しく追及し、精神的に追い込んだ。当時を振り返った後輩たちが「暗黒時代」ともらしたのを耳にした彼らは逆上し、集団になって後輩らをつるし上げ、精神的に追い詰めるなどの行為を繰り返した。

これらの行動が組織上問題となり、今後は徒党を組むな、足軽会というグループを解散しろと組織的に決定された。彼らはいったんは約束したにもかかわらず、陰でグループを維持したのが主な除名理由となっている。

創価学会という教団では、このような「分派活動」を厳しく禁止している。彼らはあくまで信仰活動上の問題で除名されたのであって、政治問題など本来何の関係もなかった。

彼らにとっての安保法制は、自分たちの正当性を維持するための「ごまかしの道具」にすぎず、「アクセサリー」にすぎない。経緯を知らない学会員は、彼らの思惑にいいように利用されているにすぎない。

逆にいえば、自分たちの行動に「正当性」がないことをわかっているので、あえて、そのような政治問題にすりかえて、保身を図っているにすぎない構図ともいえよう。彼らにとっては、自己の正当性を主張し続けることが主目的であって、そのための道具など何でもよい。要は、自らのメンツを維持するために汲々としている姿だ。

根本問題は、彼らが学生部幹部であった時代に無辜の会員らを「抑圧」し、精神的に追い詰めた集団示威行動にある。また、そうした若気の至りを自省することすらなかった、信仰姿勢の基本的な「欠陥」にある。

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