佐賀県という場所

孔子のいうところの天命を知る年齢(50歳)をすぎると、自分の半生を振り返る心境にもなる。自分はなぜ佐賀県で生まれ育ったかと考えると、はっきりいえることは、別の場所で生まれていれば、私は早稲田大学をめざしてはいなかっただろうということだ。私には郷里の偉人であった大隈重信という創立者の存在が進路を規定したような部分がある。またこの大学はマスコミ分野に多くの人材を輩出していたので、入学後は必然的に同種の仕事をめざす流れとなった。さらに物書きの端くれを志してから実際に文章の手ほどきを受けたのは、偶然ながら大隈重信の縁戚に当たる西日本新聞記者出身の大隈秀夫先生であった。今となっては佐賀県に生まれたことが自分の中では「必然」であったように思えるのは不思議なことである。

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