◆門田隆将8 単なる卑怯者の生き方

「週刊新潮」に在籍した25年間、多くの捏造記事を量産し、札付きの記者として知られてきた門脇護(61)。取材した事実を正確に記事にするのではなく、雑誌の売り上げのために特定の角度を付けて料理し、結果的に多くの失敗を積み上げた。社内の評価を上げるためには何でもやった。レイプ被害を訴える高齢女性の主張を、裏付けも取らずに、キャンペーン化。後ほど判明するが、特定の意図をともなった虚言に乗せられただけだった。だがそのペンを振るった本人は、悪びれる様子もなく、ついぞこの事件で反省の弁を口にすることもなかった。「捏造記者」の転身は2008年――。同人のツイッターの紹介文には、「毅然と生きた日本人」をテーマにノンフィクション作品を執筆と書かれている。だが執筆している本人の生きさまは毅然としているのだろうか。記者としてやってはいけない行為に手を染め、多くの虚報を世にばらまきながら責任を取らない姿勢。それはまるで旧日本軍が、中国大陸で多くの無法行為に手を染めながら、戦後、総体的になんら責任を負おうとしなかった無責任な体質と瓜二つに思える。そのどこに「毅然たる生き方」が存在するのだろうか。単なる「卑怯者」の生き方ではないか。いまその「卑怯者」は、自分こそ日本人の代表とばかりに、まるで日本国を背負ったかのような態度で言いたい放題の活動を行っている。分を知ることを美徳とする生き方とはかけ離れた、つけ上がった生き方。その醜悪ぶりを、自分では気づいていない様子だ。

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