日共検証3 党が分裂していたというウソ

現在の日本共産党は、武装闘争時代の責任を、党が分裂していたので自分たちの責任ではないと称する。だがそもそもの事実が捏造されているとの指摘がある。コミンフォルムの声明が出た1950年1月、その対応をめぐって党内は所感派と国際派に分かれた。同年6月マッカーサー司令部が共産党中央委員を公職追放し、党は完全に分裂した。そこから翌年秋までが実際の分裂期間だったというのが歴史の真相のようだ。51年には4全協、5全協で軍事方針が具体的に確認される。実際は5全協の直前に、宮本顕治は自己批判書を提出して、党に戻っていた。つまりその時点で、党の分裂は形式的には解消されていたというのである。それを証明する具体的な証拠も存在する。にもかかわらず、宮本元議長は党史を捏造し、現在の党の見解に明らかなように、荒唐無稽な言い逃れを続けている。宮本元議長は1952年の時点において、積極的に党の武装闘争に参加はしなかったかもしれないが、党内においてその行動を黙認したことは疑いようがなく、あるいは多少の援助をした可能性さえある。

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