元祖・日本テロリスト党を支持する意味

昨日の夕刊から新聞各紙に富山市の交番を6月に襲撃し、警察官から拳銃を奪い、警官を殺害した容疑で再逮捕された容疑者の記事が社会面に掲載されていた。「交番襲撃」「拳銃を奪う」との犯行を聞いて、かつて日本共産党という政党が組織を挙げて同様の行為を行っていた事実を想起した。朝鮮戦争のころの話だから1952年ごろのことだ。日本がGHQ占領下から独立する年で知られるこの年の前後、同党は党をあげて火炎瓶闘争を繰り広げ、多くの交番や税務署などを襲撃した。警官から拳銃を奪ったのは、この容疑者よりも、共産党のほうがずっと「先輩格」である。しかもそうした犯行を個人として行ったわけでなく、集団として行ったのだから、次元はまったく異なる。当時の日本共産党は文字通りの「テロリスト集団」にほかならなかった。

一転、現在――。この党の本質を弁えない人びとは、政治学者などを名乗りながら、支援する者もいる。この過去の記憶の忘却性は、日本の戦争責任を忘却しようとする右派の精神性と似通ったところがあると感じるのは私だけだろうか。おしなべて日本人というのは、忘れる民族、あるいは都合よく解釈できる民族ということの証左なのかもしれない。

日本共産党の武装闘争の結果、日本には多くの左派系過激派が形成された。そうした暴力グループの「元祖」が、実は「平和の党」を自称する日本共産党という事実は、常識人として弁えておくべき事柄であろう。

日本共産党は、テロリスト党として活動した過去の罪だけでなく、そうした過去を隠すためにいまに至るまで、「平和の党」などと虚偽の形容詞で自身の「偽装」を図ってきた政党である。

 

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