2012年から安倍政治と同じ陣営に属することになった公明党国会議員にとっての顕著な特徴は安倍氏への「忖度」を余儀なくされたことだろう。その影響は安倍政権が終わって5年近くたつ現在も続いている。安倍首相は南京事件を否定し、慰安婦問題を矮小化させる歴史否定主義者であったため、同じ陣営内からそれに反発する声は出せなくなった。例えば「首相の言う南京否定は、歴史学会(アカデミズム)ではまったく認められていない暴論ですよ」とか、「日本軍慰安婦は全員性奴隷といえるかどうかはわからないとしても、その多くにそのような面があったことは否定できない歴史的事実ですよ」とか、「朝鮮半島で強制的に連行された慰安婦がいなかったと主張されていますが、日本軍は多くの公式文書をすべて焼き払った軍隊なので多くの証拠が消えた中でそのような主張をしても無意味ですし、今後そのような事実が出てくる可能性はゼロとは言えませんよ」とか、ふつうの人間なら当然疑問に思うことも口にできなくなった。公明党や創価学会の関連メディアも同様の「傾向」が生まれた。
石破首相は参院選挙の日にあるラジオ番組で、日本軍の死者の6割や病死や餓死だったと発言しているが、公明党議員がこの種の歴史認識に関して発言するのを聞いたことがない。要するに、今も遠慮しているのだろう。だがこの種の遠慮は社会的にマイナスの方向に働き続ける。結果、ヘイトスピーチが蔓延する社会に加担し、昨今では参政党が急拡大する土壌を生み出したともいえる。永住外国人地方参政権付与問題が、日本国内における共生化政策の重要な一つの柱であることは明白なのに、それを主張する同党国会議員が一人もいない現状も同じ根っこをもっているといえる。同党議員はいい加減、安倍政治への忖度を打ち切るべきだ。そのためには自らの歴史認識を堂々と開陳し、どのような国家の方向性が望ましいのか世論に迎合することなく発信する「勇気」こそ求められる。同党に今最も欠けていることの一つはそれだと感じる。