恩師の想い出

1日挟んだ話題になるが、文章の恩師のことで3つほど思い出したことがある。東大在学中に学徒出陣にとられ、戦争が終わったあとは東大から九大に移った。そして西日本新聞の記者となった。多くのスクープもものにしたようだった。私が明確に記憶しているのは、日本共産党の“大物”であった野坂参三が帰国するという噂を聞きつけ、福岡県内の船着き場(場所は忘れた)で張り込んだ話だった。もう一つはまったく別の話題だが、九州勤務時代を終えて、東京に転勤となった。文化部のデスクなどを務めたが、住まいは鎌倉だった。そのころなのか、退社した後のことかは定かでないが、自民党のとある領袖から、佐賀県から立候補することを勧められたことがあったという。大隈重信のゆかりの血を引き、「大隈」の名前だけでも佐賀県では当選できたものと思われるが、恩師は何といって断ったか。「政治家は平気な顔をしてウソをつける能力がないと無理だから自分には務まらない」。そんな趣旨のことを述べて断ったと語っていた。3つめ。恩師は西日本新聞の記者時代、共産革命を成就した新生中国を一カ月以上も現地取材し、一冊の書物にまとめている。周恩来首相にも面談した。その連載で中国にも乞食がいるなどの見たままのことを書いたら、社会主義国を「地上の楽園」と信じていた当時の日本の左翼文化人たちから総攻撃されて困ったと話したことがあった。私にとっては懐かしい思い出ばかりだ。

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