情報公開の精神

日本は戦争末期、都合の悪い文書を行政命令によって一方的に廃棄・隠蔽した歴史をもつ国である。その精神はいまも延々と受け継がれており、情報公開法が制定されたのは先進国の中でかなり遅いほうであったし、いまだに公文書の改ざん・隠蔽が取りざたされる。安倍政権もその例にもれない。首相の「もし自分や妻が関わっていたら議員も総理もやめる」との言葉に忖度した財務省は、公文書の改ざんを行い、一人のノンキャリアが自ら命を絶つ事態へとつながった。これも75年以上連綿とつづく、この国の悪弊によるものとしか思えない。

もともと情報公開の精神は、本来有権者の所有であるはずの公的情報を可能な限りオープンにし、さらに記録化することで、後世の有権者が過去の過ちを知り、さらに教訓を得ることで同じ過ちを避ける目的がある。要するによりよく生きるための知恵であり、それを制度化したものが情報公開制度といえる。この制度を嫌うのは、その場しのぎの権力者や、真実の情報を広く知られるのが都合の悪い利害関係者だけであろう。

自分の政権さえ安泰であればそれでいいという発想の政権は、例外なく、情報公開を嫌う。安倍内閣はまさにその象徴というべき政権だった。公明党はもともと政治資金などにクリーンな政党とされてきたが、こうしたテーマは自民党からはなかなか出てこないので、本来は公明党の役割のはずだ。この問題に真剣に取り組む議員が見当たらないのは、残念である。情報公開法の改正問題は、日本社会のレベルを占う、重要な政治課題のはずだ。

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