空手雑感 37

20世紀初頭、それまで秘伝の術だった空手が沖縄県内の学校教育で広く使われるようになり、質的に変化したことは有名だ。目突きや急所(金的)蹴りなど型の中に当たり前に入っていた危険な技を削除し、子どもたちが鍛錬するにふさわしい内容に編成し直したのだ。ピンアンはそのときに創作された型である。実はこれ以降、沖縄の本来の空手は「失伝」し、本質を見失うことになったといわれる。平たくいえば、武術がスポーツ化した結果といえよう。空手は船越義珍によって東京で広められたが、こうした状況を最も危惧した一人が本部朝基であった。本来あったはずの「武術の型」が、「スポーツの型」に変質したのを嘆いたのである。当然、空手が本来の空手ではなくなったものと本部の目には映っていた。そんなことを感じたのは最近、沖縄のある道場に出げいこに行かせていただいた際、思ってもいなかった発見がいろいろと生まれたせいでもある。本来、小が大に伍するための武術。その技術の多くが、実は体育化とともに失われていた。そうした歴史背景を認識しながら、本来の武術を探求する旅は今後もつづきそうだ。

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