仲宗根源和の卓見

時代が違えば、あるいは運が悪ければ、日本共産党に入党していたかもしれない。20世紀の一時期まで、共産主義は進歩的な思想として信じられ、実現可能なものと社会的に「夢想」されていた。そのころ生きて、善意の気持ちが強ければ、そうなった可能性は強い。戦後の保守系論客であっても、若い頃に同党の洗礼を受けたという人物は数多い。前置きが長くなったが、日本共産党の創設時、中心的に関わった複数の人物は沖縄人だった。一人は徳田球一という名の弁護士、もう一人は仲宗根源和という言論人だ。もっとも仲宗根は共産主義の本質に疑念を抱き、途中でリタイアするので徳田とは異なった奇跡を残している。日本共産党の草創期に沖縄人が複数まじっていたのは、それだけ沖縄の貧しさが際立っていたことの反映だ。「人類平等」の理念にほだされ、この道にかけた人々がいた。徳田は戦後、同党の書記長としてトップリーダーをつとめ、同党の戦後の急拡大になくてはならない人となった。そして道半ばで斃れた。一方、仲宗根は、日本共産党の野党としての批判勢力としての立場は容認するものの、与党に入ることは完全否定するという立場だった。私の立場もこれと似ている。日本の共産主義政党はきゃんきゃん吠えて、政権の監視役の一端を担っているうちはまだいいが、いったん政権内に入ると、権力基盤を自らの党勢拡大に悪用し、事実上政府を乗っ取ってしまう。そうした体質を根強くもっていることが明らかな政党ともいえる。

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