瀬長亀次郎といえば、沖縄では反基地闘争で県民に寄り添った政治家としていまも称える人が多いようだ。この人物、1957年には那覇市長を務めた時期もあったが、市議会では沖縄人民党および同人が共産党であるかどうかが大きな問題となった。そうした質問に対し、瀬長本人は「人民党は共産党ではない」「自分もそうではない」などと否定の答弁を何度も繰り返していた。ところが沖縄が本土に復帰すると、沖縄人民党はそのまま日本共産党に「合流」したばかりか、同人が後年出版した自伝的著作においては、すでに1931年に日本共産党に入党していた事実を明らかにしている。要するに上記の市長時代の答弁は、市民ダマシの真っ赤なウソにほかならなかった。結果的に、那覇市民を騙し、県民を欺く行為にほかならなかった。そうした歴然たる背信行動があったにもかかわらず、地元で人気があるのはなぜだろう。基地問題に直面する中、共産主義者であったかどうか、また自らの信条について虚偽答弁しても許される土壌があったということになる。「公人」が国民や市民に対する議会の答弁において、自身の信条において虚偽を述べることなど、私は許されないものと考える。