断片的な記憶

人間60歳という一区切りの年齢に近づくと、それまで思いもしなかった脳内記憶が突然飛び出してくる感覚がある。今朝もそのような感覚があったのだが、それは中学1年生が終わる2月はじめ、初めて新聞配達をしたときの光景だった。その日は当時住んでいた実家の周辺を数十軒配達する最初の日で、九州の冬には珍しく雪が積もっていた。自転車の台座に10数センチほどに束ねられた新聞を結わえて配達を始めるのだが、運悪く初日から雪で路面は凍結しており、何度も転んだ記憶がある。当時は外灯もハダカ電球で、物悲しい風景が今も脳裏に鮮明に焼き付く。新聞は西日本新聞だったが、ごく一部に日経新聞や西日本スポーツもまじっていた。家が貧しかったというわけではなく、当時のお金で1万円ちょっとの「小遣い」を得たいがためによくそんなことをしたものと今では思うが、日曜土曜もなく毎日つづけたその一般紙の配達は半年もたたずに終わってしまった。父親が半ば強制的に止めさせたのが実態に近い。後年大学を卒業するとき、西日本新聞社の入社試験でこの体験をなぜ語らなかったのだろうかと今朝になってふと思ったりもしたが、当時は自分の重要な記憶から消えていたのだろう。そんな断片的記憶が突然呼び起こされる、還暦近くの日々である。

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