最近この3人のマスコミ露出が増えているのか、世間一般では公明党の路線に反対して教団内部が割れているという印象をニュースにするために使われる傾向があるようだ。だがそれらはマスコミの皮相な取り上げ方にすぎず、もともと彼らの行動の原点が公明党の路線批判にあるわけではない。それらは彼らの主張を正当化させるために都合よく用いている「後付けの論理」にほかならず、彼らの本質はそんな次元にあるわけでもない。
もともとの原点は、彼らの学生部時代にさかのぼる。
神奈川県川崎方面の学生部幹部だった彼らは、中央の方針に従って、果敢に布教活動を行った。だがその運動が過激に走るあまり、あるときは後輩をつるし上げ、さらに精神的に追いつめるなど、多くの弊害を生んだようだ。後年、そうした後輩世代が「暗黒時代」と公言したのに対し、彼ら先輩幹部が集団で後輩をつるし上げる行動に出た。大挙自宅に押しかけたり、呼び出して説教したり。まあこれらは青年の若気の至りとみなすこともできよう。
学生部の内部でこうしたトラブルが生じていることを察知した地元組織では、双方の意見を聞き、いずれにも行き過ぎの点があったことを認めさせ、喧嘩両成敗で解決しようと図った。その際、「誓約書」を最後まで提出しなかったのが、彼らの側である。彼らの唯我独尊的傾向は、このころからはっきりしていた。さらにその傾向は一層エスカレートしていく。自分たちの「無実」なるものを訴えて、最高幹部らへの「対話」という名目の威圧的言動を重ねていった。どのような団体、組織においても、彼らのような行動が正当化されることはないだろう。
若き日の池田名誉会長は、草創期の教団の体質について違和感を戸田会長に吐露した際、「お前が(中から)変えていけ」と指導され、そのように実践した。彼らがあのとき「誓約書」を提出し、中からの変革をめざしていれば、このような事態には陥っていなかっただろう。教団は外から変えようとしても容易に変わるものではない。
私の見るところ、彼らの第1の誤りは、このとき「誓約書」を提出しなかった頑なさにある。提出しないことに同調したのは8人。元職員の3人がそこに含まれるだけでなく、彼らに現在ついている弁護士、さらに聖教減部で人権侵害されたと裁判にまで訴えて敗訴した女性の夫もその一人だ。また彼らを精神的にリードしている存在とされる福岡某も、その一人である。