20世紀に行われた多くの「共産主義の実験」がことごとく失敗に終わったのは、現在の日本共産党が唱えるように民主主義の土台がない国に共産主義を持ち込んだからでは決してない。そのような「状況論」が原因となっているわけではなく、本質的な要因は人間というものを深く捉えきれなかった共産主義思想の限界にこそある。簡単にいえば、人間は善と悪が混在する生き物だ。感謝の心、他人をいたわる善の心をもつ一方、同族意識を持ちやすく、敵と味方に切り分ける独善的な性質も併せ持つ。その両方を行ったりきたりするのが人間の現実の姿だが、共産主義においても同様だ。むしろこうした人間の内面分析では、仏教がもっとも鋭くその核心を突いているように思う。仏教は人間の内面を分析するだけでなく、人間の「悪」の部分をどのように「善」に転化するか、そのための具体的な実践方法すら提示する。仏教の究極は結論からいえば「法華経」となるが、法華経の精密な人間理解のもとで「共産主義の実験」がなされるという前提ならば、うまく機能する可能性があると筆者個人は考えている。現在の日本共産党が主張するように、高度な民主主義社会を土台にすればうまくいくという短絡的な発想は、人間を深く見ることができないこれまた浅い共産主義者の史観でしかない。