セクハラ市長は退場せよ

沖縄の新聞を購読していて最近よく目にするのが南城市長によるセクハラ疑惑だ。私の記憶では6年ほど前、東京・狛江市長が似たような行動で辞職に追い込まれた事例がある。市長という小権力を得た者が自らの立場を勘違いし、自分は何をしても許されると思い込むのが原因のようだ。身の回りの女性職員の胸や尻を触ったり、卑猥な言葉を投げかける。狛江市の場合は前任者が長らく共産党員市長がつづいた後だったので、このときとばかりに同党関係者が動き、セクハラ市長は辞任に追い込まれた。だが南城市長の場合、のらりくらりと本人が言い逃れをつづけ、いまだ辞職もしていない。背景には同市長の元で働く女性職員にとって、告発はそのまま職を失うことや昇進にかかわるという権力勾配がある。実際、最初に告発した元運転手女性は契約職員であったためクビを斬られて職を失っている。これもひとつの「権力の魔性」が作用しているケースといえよう。ただし「権力の魔性」が生じるのは公権力だけとも限らない。インフルエンサーなどと持ち上げられる昨今の人種にも、「自分は特別」と勘違いした人間がしばしば見受けられるのはわかりやすい一つの現象だ。

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