信平事件で騒いだ三流ライターたち

 1996年の提訴から2001年に最高裁で確定するまで、このデマ事件を使って、「週刊新潮」と、妙観講の機関紙「慧妙」はいいように騒ぎ続けた。新潮記者だった門脇護は、函館で信平夫婦に取材(このとき妙観講副講頭の佐藤せい子ほか1人が同行)したあと、上京した信子を検事出身の弁護士に引き合わせて、訴訟を起こして勝てるかどうかを具体的に相談していた。いずれもこの事件が「真実」起きたものであるかどうかの裏付けをとらないまま、メディアで騒ぐだけでなく、それだけではパンチが足りないとばかりに、訴訟を起こさせてさらに騒ぎ立ててやろうという魂胆が明らかだった。
 事件が「真実」であることが確認され、被害者救済のためにそのような行動に出るのならまだ話はわかるというものだが、彼らは教団叩きを第一優先し、そうした行動に流されていった。このとき佐藤せい子に同行した佐貫某という妙観講員は、実際に信子に起こさせた民事裁判で、陳述書を提出し、門脇の取材過程がどのようなものだったか、門脇に代わって“代弁”した。
 さらに極め付けは、乙骨某だろう。この事件の直接取材者でもない人間が、意見書と称して、33頁もの文書を東京高裁に提出した。概要は、この信平信子の事件は、池田名誉会長をめぐる過去の伝聞による事件と異なり、直接被害を受けた女性による告発なので、教団側がありとあらゆる妨害を行ってくることは明らかである旨を主張するもので、要するに信平の主張を事実的根拠もないままに「真実」との前提に立ち、反教団の立場から主張を行ったものだった。
 結局、この事件はさまざまな証拠から、事実的根拠がないものと判断され、訴えは棄却さらに却下される。そう判断された証拠の中には、信子が被害を受けたと主張した回数が3回から6回に変わるなどくるくると変遷したこと、被害を受けたという建物が事件があったと主張した時期にすでに取り壊されていたこと、被害を受けたと述べながら平気な顔をしてラジオ体操をしていた事実などが含まれる。
 この事件について、無実を主張するのならなぜ池田名誉会長は「反訴」をしないのかと著書などで述べたジャーナリストもいた。名前を山田直樹といったはずだが、その理由は昨日付のコラムに記したとおりである。
 古今東西、無実の男性を貶めるための最良の道具は、女性問題をでっち上げることのようである。そうしたデマ事件を後支えしたのが、佐藤せい子と佐貫某をはじめとする、日蓮正宗「妙観講」の構成員であったという事実を改めて歴史にとどめておきたい。

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