池田名誉会長が信平信子を民事提訴しなかった理由

 いまから20年前の1996年、「週刊新潮」は池田名誉会長に暴行されたと主張する女性の手記を裏付けもとらずに掲載し、大々的にキャンペーン化を図った。記事にした門脇護(当時、編集部)は自分の大学のつながりで弁護士を探し、民事提訴することでさらに騒ぎを大きくすることを目論んだ。信子夫婦の取材で門脇と同行したのは日蓮正宗の謀略部隊とされる妙観講・副講頭の佐藤せい子らで、東京・新宿区のホテルでの信子の記者会見に関わったのも彼女ら妙観講であった。つまるところ、一週刊誌と日蓮正宗の特殊部門が“結託”して起こしたえん罪事件が、この信平狂言事件と呼ばれるものだった。その後、信子らの起こした虚偽訴訟は、事実的根拠に乏しいという理由から、訴えが“却下”されるという事態に陥った。要するに、えん罪事件であることは、司法的に確定している事件である。
 暴行を受けたといいながら、被害者であるはずの信平信子は、池田名誉会長を刑事告訴もせず、民事だけで訴えた。そうした知恵を授けたのは、上記の新潮記者だった門脇である。事態は門脇のアドバイスどおりに進んでいった。本当にそのような被害を実際に受けているのであれば、民事で訴える以上、当然、刑事でも手続きを取るべきであったはずだ。しかしもともと根拠のないウソのでっち上げ事件にすぎなかったので、公権力が介入し、「真実」がばれてしまうことを恐れたものと見られる。そのため、自分たちで自由に騒ぐことを目的とし、「民事のみ」の行動をとったことも明らかだった。
 この信子にはヤクザまがいの夫がおり、地元・函館市では多くの詐欺事件を起こして有名だった。そうした夫の支配下にいたのが、信子である。夫は「そのうち大きな金が入る」と知り合いに述べていたそうだ。
 もともと事実無根の虚偽事件であったために、このとき池田名誉会長が信子や週刊新潮に対し、名誉棄損で民事提訴あるいは刑事告訴していれば、民事でも高額の賠償金の支払い命令が出たことは確実である。にもかかわらず、なぜ民事提訴しなかったのか。
 私見では、週刊新潮および信子らの目的が、虚偽の事件を使って池田名誉会長の権威を貶めることにあったことが明白であったため、反訴すると逆に彼らの目的にみすみす手を貸してしまうことが明らかだったことが挙げられる。例え勝てる裁判であったとしても、訴訟の構造上、自分の名誉を傷つける目的で利用されかねない事態を避けるために、敢えて訴訟を起こさなかったと思われる。
 この種のスキャンダル事件では、こうしたことがおうおうにして起こりがちだ。
 結局、信平狂言事件は、信平夫婦が起こした虚偽の民事訴訟に対し、「訴権の濫用」という判決内容で完全に“粉砕”される形となった。実質的に反訴できないという手足を縛られた構造の中での、完全な勝訴劇だったといえる。

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