「リンゴの唄」秘史

本日付東京新聞最終ページに「100年の残響 昭和のうた物語」と題する連載1回目の、1945年の「リンゴの唄」が取り上げられていてなぜか読み入ってしまった。なぜこの記事に引き込まれたのか読後に考えてみると、「〽赤いリンゴに唇よせて」の最初のフレーズはもともと冒頭に想定されていた歌詞ではなかったとの意外な事実から始まり、作曲家が「この歌は明るくなくてはいけない。そのためには、口を大きく開ける母音の『ア』で歌い出す方がいい」とか、その次のフレーズの「〽だまって見ている青い空」も、「暗闇のようだった戦争から抜けだし、社会が豊かな色彩を取り戻した。そんな解放感も、この出だしから伝わってくると確信した」などの秘話が胸に迫るからだろう。要するに、きちんと取材した記事は必然的に読者の胸に響くし、かつそこに意外性ある事実が散りばめられていれば、なおさら感銘を受けるという方程式だ。実はこの曲を歌った女性歌手自身、戦争で母親を目の前で失い、自分を責め続けていた事実も紹介されている。昭和半ば以降とはいえ昭和生まれ世代としては、なぜかぐっと読み入る記事。時代はやはり同時代の歌とともに刻み込まれている。

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