党首を「分派」と強弁する志位共産党の異常

歴史修正、歴史改竄もここまで来ると異常そのものに映る。本日付「しんぶん赤旗」で掲載されている日本共産党・志位和夫委員長の「『日本共産党の百年』を語る」と題する講演内容のことだ。志位氏はかつて同党が創立以来、内乱に乗じて暴力で政権奪取姿勢であった時代をいま風に中和化しながら、1950年代の党分裂の原因をスターリン一人に押し付け、主体者としての自己(同党)を抹消している。さらに暴力革命を規定した日本共産党がかつて保有した記念すべき最初の綱領(=51年綱領)について、「1951年、スターリンは分派の幹部をモスクワに呼びよせ」て作ったと述べているが、ここでいう「分派の幹部」とは、徳田球一を指すか、あるいは袴田のことか。いずれにせよ彼らは「徳田・野坂分派」と公言しており、徳田は当時の『党首』であった書記長だ。過去の党首を「分派」と呼んではばからないその歴史改竄ぶりは、極右勢力がかつての太平洋戦争における「侵攻」を「事変」などと誤魔化すレベルを超えている。「加害者」を「被害者」に、「被害者」を「加害者」に転化しているレベルに等しいからだ。仮に史実に基づく党史であるならば、徳田書記長らのことは「分派」ではなく、「当時の主流派」「当時の多数派」と正確に、客観的に記述しなければならない。

日本共産党の関係者には、旧日本軍の不法行為に関する靖国派を中心とする極右勢力の歴史修正主義と果敢に戦う人びとが多く、個人的にはその姿勢を尊敬し、賛同してきたが、一方の日本共産党それ自身の党史の改ざんぶりは、旧日本軍に関する歴史修正主義者たちのそれを超えたレベルにある。この事実は日本社会にもっと知られるべきだと感じている。

※日本共産党の最大の党史改竄の姿勢が「徳田・野坂分派」の一語にある事実は『第三文明』10月号(9月1日発売号)の拙稿で詳述していますので関心のある方はご覧ください。

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