党首公選が突きつける課題

日本共産党の元職員が「党首公選論」を主張する書籍を大手出版社から出して記者会見したことで波紋が広がっている。日本共産党はすぐに反論の文章を「しんぶん赤旗」に掲載したが、提案の書である『シン・日本共産党宣言』の表紙をめくると、最初に「日本の主要政党で党首公選が行われていないのは、共産党と公明党のみである」との文章が置かれている。

共産党におけるこの提案が実現する可能性があるとは私には思えないが、問題は同じ課題を突き付けられた形となっている公明党のほうだろう。国政における「万年野党」と「20年与党」の党首の選び方が同じ非民主主義的方針で共通しているとの問題提起は、やはり看過できないものがある。公明党が将来的に「国民政党」としてウイングを広げるビジョンをもつとするならば、当然、その代表者は民主主義の手続きに則って選ばれるのが当たり前のことだろう。逆にいえば、公選とならない限り、同党の「創価学会党」としての現状はなんら変わりないということにもなる。公選制のメリットはさまざま挙げられる。党の将来ビジョン、国の将来ビジョンをオープンな形で議論する機会が定期的に生まれることで、党の進むべき道やあるべき姿が明確化され、共有化される。それは党員支持者だけでなく、国民の意識にも影響を及ぼし、党の存在目的などをガラス張りにする効果があるだろう。一方、考えられるデメリットとしては、たとえば共産党は「派閥ができる」ということを反対材料にあげているが、これはいうまでもなく程度問題であろう。私個人はデメリットよりも、メリットのほうが上回ると考えたい立場だが、そもそも論として、与党をつづける政党に公選制がないということは、党内における民主主義への見識レベルを明らかに下げているとしか思えない。公明党が民主主義というコインの表と裏の関係にある情報公開関係の諸政策に熱心と思えないのも、そうした党のあり方が遠因となっているのではないかと個人的には感じている。

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