東村山の構図1 ペテン師が発信したデマ

本日より「第2部」をスタートする。1995年9月1日に東京近郊の東村山市で発生した女性市議転落死事件は、転落死から27年以上すぎたいまもしばしば蒸し返される。その最大の理由は、蒸し返すことで「利益」を得ることのできる者たちが現実に存在するからだ。事実関係についてはすでに決着を見ている問題であり、その様相は、歴史学的に決着がついている過去の史実(例えば日中戦争における旧日本軍の南京大虐殺事件など)を、後世の者たちが都合よく一部の事実のみを取り上げて異論を述べる(=否定する)構図とよく似ている。

この事件の主要な登場人物は、人物に託して表現すれば主に3者だ。最も中心的な核心人物は、デマを発信したそもそもの張本人であり、確信犯的人物といえる。その人格特性の本質はペテン師ということに尽きる。この事件では東村山市議だった矢野穂積がそれに該当する。さらに取材能力のない自称ジャーナリストやそれに連なる当時のマスコミがデマの「拡声器」の働きをなした。それらが2番目の登場人物となる。さらにそれらのデマを利用することで、今も具体的に「利益」を得ることのできる3番目の者たちが存在する。たとえていえば残飯をあさるハイエナのような存在ともいえるが、現在でいえば何らの事実的根拠もなく教団謀殺説を示唆しつづける東村山市議の朝木直子や、西東京市議の長井秀和などがそれらに該当する。

もちろん登場人物はこの3者だけではない。明確に「被害者」が存在するからだ。だがこれらの「構図」を成り立たせている存在をまとめるとすれば、上記の3者と結論づけられる。

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