取材者にもいろいろなレベルの人物がいる。調査が得意な者、インタビューの話術にすぐれた者、文章力に卓越した者。もっとも重要な核は、「事実」(=ファクト)を捕まえる能力といってよい。一つの物事は、逆の立場から見ると、別のもののように見えることもある。そのため多面的な視点から、事実は何か、本質は何か、核心は何かを見極めようとするのが通例だ。その試行錯誤から、自分なりの結論を導き出す。
一つの事件においても同様で、それは警察捜査の手法ともかぶる部分があるだろう。乙骨正生という人物は、もともと創価大学卒を売りにした教団のアンチジャーナリストであり、最初から教団を貶める言論活動を目的としていたので、そのフィルターはもともとねじ曲がったものにすぎなかった。客観的な視点を維持しようとしないため、1995年の東村山市議転落死事件においても、矢野穂積による世論操作の「餌食」となり、教団謀殺説を主張し、現在に至る。翌年、週刊新潮のお粗末記者・門脇護が自作自演(自らスラップ訴訟を起こさせ、騒ぎを大きくして、自らも報道して利益を得る手法)で行った信平狂言事件においても、信平夫婦の素性を精査することなく、教団を貶めるために、事実無根のキャンペーンに簡単に乗ってしまった経緯をもつ人物だ。この2つの事件で正しい判断ができなかったという過去の行動だけでも、この人物のジャーナリスト生命など無きに等しいものと当方は考えている。いっぱしの取材者は、自らの独自取材の蓄積によって、自分なりの判断を身に付ける。だが乙骨にはそれがない。いや、なかった。自ら懺悔の表明をしていない以上、いまも「ない」というしかないだろう。このように最初からねじ曲がった視点で物事を見ることで、事実と異なる誤った報道に手を染めるという行動は、かつての共産主義者やそのシンパにはよく見られた現象だ。共産主義を絶対善の理想と美化・妄信するあまり、共産主義国は誤ったことはしないとの思い込みがもたらした現象だったといえるが、本質的にはそれと全く同じことだ。
そんなお粗末ジャーナリストを「キング・オブ・仏敵」などと持ち上げていたのが西東京市議選で当選した同じ創価大学卒の長井秀和である。彼はそんな人物と同じレベルの人間であることを自ら表明していたようなものだろう。実態は、乙骨は「キング」でもなんでもなく、金魚の糞のように「仏敵」なる存在にくっついて商売してきただけのシロモノにすぎない。