宮本顕治がつくった現在の共産党

本日付の産経新聞が「日本共産党100年」の連載記事の中でわかりやすい説明をしていた。戦後の同党の党首名が「書記長」「第一書記」「議長」「委員長」などとコロコロ変化したことを紹介し、さらに同党の党首が徳田、野坂、宮本、不破、志位のたった5人しかいない事実を指摘している。より敷衍していえば、戦後の同党を再建し現在への路線を引いたのは、明らかに宮本顕治だった。それ以前の党首だった徳田・野坂は、すでに同党内で評価の対象となっていない(野坂は100歳で除名されている)。現在も生きる不破と志位は、宮本顕治の人事権によって抜擢された人間であり、宮本の観察眼の反映ともいえる。同党はかろうじて100年もったが、それは宮本の「改革路線」が一定程度成功した結果であり、これはもう続かない。仮に宮本がいなければ、日本共産党は1955年前後の時期に「解党」「消滅」していてもおかしくなかった。だが宮本が党存続のために使った手段は、ウソとゴマカシにすぎなかった。その点では、政治手法の本質は、対極にあるはずの安倍晋三ともよく似通っている。

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