創価学会と共産党

昭和の戦前・戦中時代、時の軍部政府から「弾圧」を受けたことで両団体は共通する。ほかにも多くの宗教団体が弾圧を受けたが、創価教育学会の場合は初代会長、初代理事長(第2代会長)が入獄後も信念を曲げずスジを通したことで知られる。日本共産党の幹部は最北の網走刑務所に入れられた者も多い。戦後、時期は微妙に異なるものの、大衆レベルから布教と浸透を図り、同じフィールドでぶつかり合うことになった点で両者は共通する。そうした歴史的な流れのもとで、両者はいまも仲がよいとはいえない。それでも過去には池田会長と宮本委員長が対話した歴史もあり、一概にずっと敵対関係にあったというわけでもない。創共協定という10年協定を結び、創価学会は国家権力から目をつけられた歴史もある。

私は政党機関紙を独立後、日本共産党の取材にも関わった。同党の支持者たちも創価学会の会員と同じく、本来の庶民層で成り立っている。また共産党は、こと戦時下に弾圧された歴史もあってか、日本の戦争責任問題には是々非々の態度で臨む。その姿勢はいまのこの国の中にあっては極めて貴重なものに映る。放っておけば「戦前」に戻りかねない危険な状況があるからだ。

何を言いたいかといえば、似ているような面が多少あったとしても、両者で根本的に異なることは「信じている対象」が違うという点に尽きる。創価学会員は「現代の法華経」を信奉し、朝晩、日蓮の本尊を仰ぐ。共産党は信仰ではないが、客観的に見れば信仰と似たようなものだろう。マルクス・レーニンが彼らの本尊だ。いうなれば、違う宗教ということに尽きる。創価学会は折伏大行進の草創期と異なり、いまでは全世界に会員層が広がり、世界宗教化していることもあって、宗教間対話を心がけるようになった。キリスト教やイスラム教など他の宗教であっても教義が違うからといって排斥せず、同じ普遍的価値(世界平和など)をめざす人たちと共同歩調をとるスタンスである。この方程式が日本共産党との関係において採用されないのは、やはり狭い日本の中において、政治の世界で与党と野党という相対する立ち位置にあることが大きいと思われる。それでも私は歴史認識問題における同党の態度には一目置く。この複雑な立場を理解する人はむしろ少数だろう。

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