公明新聞「一考」

しんぶん赤旗の創刊94周年とかで昨日午前、赤旗編集局長と日曜版編集長のトークがオンライン(YouTube)で流された。その中で公明新聞という名称を名指しはしないものの、選挙が近づくと候補者の変顔を大きく掲載する新聞もある旨を語っていた。問題は編集局長がそれに対し「たいへん楽な作り方だと思って見ています」との発言を行ったことだ。ここで言いたいのは、発言自体が問題なのではなく、公明党の機関紙としてのあり方をとらえたある種の建設意見としてとらえたからである。赤旗は一般紙に比べれば国際報道にかける人員は10分の1と語っていたが、それでもワシントンや北京、カイロ、ベルリン、ハノイに直接特派員を置いている。公明新聞はゼロだろう。赤旗は全体で300人の記者を擁し、通信員など含めると350人の規模という。「権力監視」を旨とするのはいまの政党の立ち位置にそのままフィットする。最後に日曜版編集長が最大の権力監視は戦争を起こさせないための監視といった言葉を述べたことが印象に残った。

赤旗と公明新聞を日々読んでいる立場からすると、公明新聞の作り方は読むところがそれほど多いとはいえない新聞である。人員スタッフのかけかたも赤旗とは大きく異なるはずだ。私が残念に思うことは、共産党は機関紙をつかってシンクタンク機能を増しているのに対し、公明新聞はそれがはなはだ貧弱に見えることだ。その結果、与党に20年近くいたとしても、本来ならもっと政策的に目玉となる実績を残せた可能性があったにもかかわらず、それがかなわないできたように見えることだ。国会議員個々はその道のエキスパートが集まっていなければならないはずだが、私が見るだけでも政策的に手薄な分野は教育などを筆頭に複数見受けられる。目前の選挙勝利は政党としての必須条件だろうが、それを最優先させるあまり、中長期的にどのような政策を実現しどのような社会構築を進めていくのかという本質的課題にエネルギーを使う余力に乏しいジレンマを感じる。

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