2種類の週刊新潮

「週刊新潮」といえばひと昔前は人権侵害報道で名を知られていた。特に門田隆将こと門脇護が同誌編集部に在籍した時代はことさら酷かった。ありもしないレイプ事件を作出し、大々的にキャンペーン報道を行うなど朝飯前だったからだ。それでいて同人はデマ報道で社内表彰を受けていた。そうしたいい加減な職業人生を送ってきたからか、彼はデマで商売することを今もなんら厭わない。最近知られるのはアビガンという新型コロナウイルスに効く薬などと彼が主張し、承認しない厚生省を無能呼ばわりしていた問題で、実際は科学的見地から医学的な効果が認められず、むしろ副作用があってアビガン投薬患者の死亡率の高さが示されていた。要するに彼は科学的データ(ファクト)に基づかず、いつものごとく大騒ぎして見せただけだった。ほかにも彼が主導した愛知県知事リコール運動は、その後、多くの犯罪者らを生み出すに至っている。またアメリカ大統領選挙では、事実に基づかず、トランプ当選を吹聴し、自らの政治運動に血眼になっていた。多くの失敗を犯しながら、何らの反省もないのはいつものことだが、こうした飲酒運転の常習犯のような人物が現在の日本の言論界では跋扈する。

一方、いまの週刊新潮は伊藤詩織事件で、事件のありようを取材し、逆に加害者を告発する記事を掲載してその男性から訴えられている。当たり前のことを当たり前に報じているという意味ではジャーナリズムの体現にほかならないが、デマ報道で部数拡大を図っていた門脇時代と比べれば隔世の感がある。

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