沖縄と東京の空気感の違い

沖縄の新聞2紙を郵送で購読しているが、忙しかったりしてちょっと読めないでいると10日もたてば小さな一つの山になっている。沖縄空手の仕事はひと段落したので購読を止める選択もあるようなものだが、最近の新聞を読んでいて特に感じたのは、東京と沖縄の来るべき戦争なるものへの空気感の違いだ。琉球新報で「足元に迫る危機 戦争回避の道は」という上下2回の連載が12月16・17日で行われていたかと思えば、「戦争前夜にどう抗うか 問われる県民の決意、行動」といった直截的な論壇も掲載されていた(琉球新報12月16日)。より端的には、同紙12月20日の論壇に次の記述があったのでそのまま引用する。

「いま、中国を仮想敵国とした奄美から与那国までの琉球弧全域における日米両国の軍事要塞化は、まさに『ありったけの地獄』とも表現された悲惨な沖縄戦前夜の様相を呈している」

空気感が本土とはまるで異なる。小生にとってはコロナ期を除いてこの2~3年、年に6回は沖縄を訪問取材する生活が続いたものの、そのときとも様相はまるで変わってきている。すでに私の仕事は別地域の取材に移っているが、沖縄を継続的に見続けること(私にとっては琉球新報と沖縄タイムスにふれること)は、日本の近未来のためにも不可欠なことと実感する。

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