父親の死去

個人的な話だが父親が逝いて5年となる。このころ父は人工呼吸器を装着していて、すでに自発呼吸できない状態だった。弟と数日ごとに交代で見守る段階となっていた。その日は早朝の便で帰省すべく用意を始めていたが、朝方5時前後、数時間後に交代を予定していた弟から電話が入り、たった今息を引き取った旨の急報を受けた。そのまま東京の自宅で朝のお勤めをし、ねんごろに追善した。これは自身の確信であり、他人が聞けば笑うような話だろうが、その間父親は私の後ろにいてじっと私を眺めているような気がした。その時間は30秒だったか1分だったかはわからない。その後安心したかのようにスッとその場から消え去った(気がした)。実家近くの斎場に到着したのはまだ午前中のうちだった。人間は死んでも数時間、聴覚は機能していると聞いていたので、遺体安置所でそのまま法華経のお勤めをした。最後の供養だと思って行った。父親といえば私が中学生のころ、交通事故を起こして代車の軽トラに乗っていた車で隣町(小郡市)の塾の帰りによく迎えに来てくれた姿を印象深く思い出す。亡くなった同じ日、偶然ながらタイのプミポン国王が逝去した。その日は日蓮の命日でもあったが、当時は旧暦なので新暦の日にちとは実際は異なる。それでも意義深いものを感じたことは確かだった。

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