イデオロギー・ノンフィクションの限界

特定のイデオロギーをもとに、そのイデオロギーを宣揚するために予め結論を決めておき、それに沿う材料だけを集め、都合の悪い材料を捨象して作成するノンフィクションを私は「イデオロギー・ノンフィクション」と名づける。これは右にも左にも見られる現象だ。近年の右側の典型は、門田隆将を筆頭とする。彼のイデオロギーは一言でいえば国粋主義だ。日本は素晴らしい国、日本民族は優秀な民族、日本は世界で最も古い国など、おとぎ話のような現実離れした理想を抱きながら、それに沿うような形で作品を量産する。読むのは基本的に日本人なので、最近の日本社会の右傾化と相まって、一つのマーケットを形成しているのが特徴である。彼が「ビジネス右翼の大関格」などと評されるのはそのためだ。例えば、原発事故を扱った作品『死の淵を見た男』は、実は福島原発に関わる人びとを描いたように見えるかもしれないが、実際は日本人を宣揚する作品にほかならない。つまり優秀で勇敢な日本人だからこそ、事故を止めることができたというサクセスストーリーである。だが、なぜこのような事故を起こすに至ったかという負の事実については見事に捨象される。都合のいい事実のみをクローズアップし、そうでない事実を隠してしまう。それでいて客観的なノンフィクションを装う。これがイデオロギー・ノンフィクションの特徴だ。一種のカルト宗教にも似通っている。戦争物でもそのことは顕著だ。最近ではコロナ作品とされる『疫病2020』がその最たる事例だ。この本の結論は、日本人は素晴らしいから第一波を見事に切り抜けられたということに集約されている。

イデオロギー・ノンフィクションの限界は、真実から遠ざかるという一点にある。要するに曇ったメガネで外部を眺めているようなものであり、真実(真相)とかけ離れた主張や内容になってしまいかねない。その結果、読者を騙すことにつながりかねない。読者を騙しても平気な人間が、こうした手法に取りつかれるともいえる。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。