竹中労逝いて30年

本日は元祖ルポライター竹中労の死去から30年。それほど深い付き合いをしたわけではなかったが自分にとって最初に影響を受けた人なので印象深く記憶に残る。当時、竹中サンは牧口常三郎に関する連載『庶民列伝』を月刊潮で行っているころで、ある先輩に誘われて池袋で行われていたルポルタージュ研究会に何度か参加した。終了後は近くの飲食店で懇親の場があった。まだ免疫のない学生時代のこと。何もかもが新鮮に映った。当時、語っていた意味はほとんど理解していなかったと思うが、この年になっていくばくかのバックグラウンドが理解できるようになると、ああいうことだったのかと腑に落ちることが今でもある。あの世代特有の、若いころに日本共産党に幻想をもち、実際に同党ぐるみで火炎瓶を投げた時代には同座し、そして同組織から離脱し、冒頭の時期には創価学会の青年たちに未来を託していた感があった。

復帰前の沖縄に音楽・芸能の分野から斬り込んだ。後年、自分自身にも空手の分野で沖縄通いが訪れるとは思っていなかった。先日も久しぶりに氏の『琉球共和国』を開いたばかりだ。賛否両論ある人だったと思うが、庶民を愛した「感性」だけは本物だった。武術で例えれば、けっして高みに立つことなく、地べたに近いかなり低い視点から氏の言葉は発せられた。形式的な公序良俗を嫌った。代表作の一つに『仮面を剥ぐ』。自己顕示欲丸出しのジャーナリスト・内藤国夫(いまも似たような人間がいる)、溝口敦、山崎正友らをなで斬りにした。この人が自分に最初に影響を与えてくれた人物でよかったと、今では思っている。

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