70年前の共産党と創価学会

1952年2月、正確には69年前のいまごろ、民衆組織として生まれたとされる2つの団体は対照的な行動をとっていた。日本共産党は前年12月、練馬区で警察官を集団で撲殺する事件を起こした。さらに1月には札幌で共産党摘発の地元警察幹部を背後からピストルで射殺して逃走する。それ以外にも、全国で警察官に火炎瓶を投げつけ、税務署を襲ったりした。米軍にも攻撃を加えている。当時、朝鮮戦争が行われていた時期で、日本共産党は朝鮮半島で戦う朝鮮労働党、中国共産党、ソ連共産党の国家を背後から“後方支援”するための「武力闘争」を日本国内で続けていた。一方でそのころの創価学会は、前年に空席となっていた第2代会長が就任し、法華経の本格的な布教活動が始まったばかりのころだ。その勢いがあまりに遅いため、この年の2月から新たな前進を始めたとして歴史に位置づけられている(2月闘争)。

69年前のこの時期をとらえると、一方は武力で、一方は対話で、社会変革を試みる活動に取り組んでいた。その結果は、核兵器をめぐるスタンスにも顕著な違いを生んだ。日本共産党はソ連の核実験は「平和の実験」として容認し、アメリカの核実験を否定するという態度をとった。創価学会はすべての核兵器廃絶をめざして活動してきた。

ことし1月、核兵器禁止条約が発効した。日本共産党はこの出来事を自分たちの運動にからめて強調するが、ここでもSGI(創価学会インタナショナル)が果たした役割は宣伝を目的としたものではなく、実質的なものだ。2つの団体の本質的な違いが顕著に表れたのが、69年前といえよう。

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