空手随想 1

空手の原点は沖縄

私を含むいまの50代くらいは、空手といえば極真空手が最強だと長らく信じていた。同空手の創始者を扱った劇画がブームとなり、日本の若者の一世を風靡した。だが最近はそうした評価はかなり変化している。90年代前半、創始者が他界したあと、組織自体が分裂を繰り返し、極真空手は、大小さまざまな流派に分派した。「最強伝説」が崩れたのは、K1ブームでマットに上がった極真の世界チャンピオンクラスの選手が無残なKO負けで破れたりしたことが大きいと思われる。

そもそも空手は沖縄発祥の武道であり、本土に渡ってきた歴史はそれほど古いものではない。わずかこの100年くらいの間のことであり、本土に伝播する過程で空手そのものが大きく変質したとも指摘されている。

もともと発祥の地・沖縄で行われた空手は、人を不能にするための道具(あるいは相手を物理的に動けなくしてしまうための技術)としてが前提であり、試合といった競技のためでもなく、踊りにすぎないような型を練習するものでもなかった。本来の沖縄空手では、相手を不能にするための技術体系としての「型」があり、それが稽古の中心だったとされる。

一方、本土で戦後に普及したフルコンタクト空手においては、型は稽古の「中心」として行われるものではなく、むしろ昇級のための審査に必要だから行うという程度の消極的なものにすぎなかった。

空手の世界ではどちらが正しいのかという話になりがちだが、現在、本土に伝わっている空手の型の多くは改変されたものであり、沖縄で古来から稽古されていたオリジナルのものとはかなり異なっているとされる。その結果、武術としての要素が骨抜きにされ、その骨抜きにされた型をいくら稽古したところで強くはなれないといった悪循環も生まれたようだ。

このことは、沖縄で数百年にわたって蓄積された技術が、本土には正確に伝わっていないことを意味する。空手家にとって、沖縄の地が重要な位置を占めるのは、「原点回帰の時代」における必然性とも思われる。

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