災害対策の前提

本日は阪神淡路大震災から25年となる。当時は日本社会党の村山富市が首相をつとめており、私は社会新報編集部で仕事をしていた。その日は朝から編集部のテレビがつけっぱなしで、当初はそれほどの災害と思われていなかったが、火災を報じるテレビ映像が印象に残っている。東京の編集部から早速その日のうちに現地に急行した記者もいた。私も1月下旬から2週間ほど現地を取材で歩き回った。東灘区で見たマンションの崩壊現場の様子はいまでも忘れられない。局所的な地震であったので周辺の交通は生きていたが、被災現場は「足」で歩き回るしか方法がなかった。結婚して間もないころで、義理の母がお守り御本尊を貸してくれた記憶だけ鮮明に残っている。よく言われることだが、関東大震災は火災で、阪神淡路は家屋倒壊で、東日本大震災は津波で多くの人々が亡くなった。災害はいつ訪れるかわからないが、最大のセーフティネットは日ごろからの地域関係である。 阪神淡路で倒壊家屋に埋もれた被災住民をその日のうちに全部掘り起こした地域と、そうでなかった地域に分かれたという。分かれ目となったのは、その地域に「祭り」があるかなかったかだったという。お祭りを通して形成された地域交流のつながりが、いざというときに役立ったということだ。あの家は何人家族でおばあちゃんはあの部屋で寝ている。近隣でそこまでわかっていれば、いざというときに力になる。そうした地域的な密度の濃いつながりが、災害のときに最大限に機能したということだ。そうした教訓を受けて、私の住む地域でも「お祭り」などの開催を重視している。

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