国家神道にひれ伏す勢力

昨日の高御座(たかみぐら)の前で高い場所にいる新天皇に対し、安倍首相が万歳三唱したシーンには強い違和感を覚えた。この儀式は、日本書記に基づき、天皇が天から降臨したという神話を具現化するために創られたものとされる。要するに大日本国憲法に基づき、天皇を神格化させるために利用した儀式を再現したもののようだ。内閣総理大臣はまるで天皇の臣下としての振る舞いであった。時代が100年くらいさかのぼったように感じた国民もいたのではないか。民主主義の国家にそぐわないこのような復古主義が見られるからこそ、政教分離違反であると主張する政党も出てくる。はっきりいって、安倍首相およびその取り巻きの保守勢力は、完全に「やりすぎ」た。要するに明治憲法下の天皇尊崇の時代の復活を夢見る旧来勢力が、新天皇誕生の儀式を政治的に『利用』しただけであり、その政治的に演出されたショーを国民は見せられたということになる。結論としていえば、歪曲された政治の帰結が昭和時代における日本国の敗戦であり、宗教的に見れば「国家神道」こそが日本を壊滅に導いた元凶そのものだ。創価学会もそうした国家体制のもと、初代会長を殺された経緯を持つ(=獄中死)。すでに異様な時代に入っていると感じさせる政治的儀式であった。天皇の晴れやかな出発の式典を、政治的に利用したこうした勢力にこそ大きな問題がある。

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