南京と沖縄

1937(昭和12)年、日中戦争を始めた日本軍は中国の首都・南京をめがけて進軍した。途中、必要な食料などの補給がなされなかった日本軍は、現地調達せざるをえず、罪のない一般大衆の家に押し入っては食料を強奪し、さらに女性を暴行するなどしながら進軍した。そうした風潮の蔓延する節度なき軍隊であっただけに、首都南京に入ったときはお祭り気分で「やりたい放題」の空気がエスカレートした。女と見れば手当たり次第に強姦し、抗う男を殺害した。これらは当時の「天皇の軍隊」が行った史実である。何が悪かったかといえば、必要な国際法規を現場に教育せず、さらに食料の補給すら行わなかった「計画性のない行動」がもたらした結果といえる。当時の日本陸軍上層部の責任であり、最終責任は昭和天皇にあった。だが、似たようなことは沖縄に上陸した米軍によっても行われた。女と見れば犯し、抵抗する男は射殺された。軍隊とは似たようなものであり、どの国でも同じと言いたいのではない。もちろんそうした側面はあるだろう。だがかつての日本軍が南京で行ったことが、沖縄で、あるいは占領下の東京で繰り返されたのは、宗教的にみれば一つの因果応報にほかならない。いま、日本の右派勢力は、上記の天皇の軍隊の行動を「過小評価」する。南京事件、慰安婦、731部隊にそれらは及ぶ。最近問題になっているのは慰安婦問題だが、「慰安婦は強制ではなかった」などのフェイクニュースがこの国ではまかり通る。門田隆将などもその典型の一人だ。

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