安倍政権の末期現象と「アベウヨ」の存在

安倍首相の側近議員が憲法改正の議論が進まないことに業を煮やし衆院議長交代を匂わせたことがニュースになっている。安倍首相の観測気球と見る向きも多いだろうが、客観的には首相の最後のやりたいことは「どん詰まり」といった印象だ。こんなやり方をしていて本当に憲法改正議論が動くとでも思っているのだろうか。「反知性主義」といわれるのも無理もない。そもそも憲法改正を9条から行うという動きは、国民世論からして100%無理な話だ。もし改正に着手するとするなら、多くの国民が納得するテーマから行うしかない。しかも未来性のある内容であることが望ましい。例えば、安倍政権下で最も欠けていると思われる資質=情報公開の理念である「知る権利」の明記、あるいは外国人を国策として増やしているわけだから、基本的人権の主体を「国民」(日本人)に限らず、すべての国籍に及ぼすことへの変更などだ。結論として、安倍政権下で「角度のついた憲法改正」は現実的でない。でなければ、この問題は何年たっても動かないだろう。本日付の産経新聞ではまたぞろ門田隆将が「正邪逆転した新聞」というコラムを掲載していた。新聞に正や邪があるのかはなはだ疑問だが、同人の論理では、安倍首相の街頭演説を妨害する聴衆を叩かない新聞は邪であるという。その程度のことで新聞に、正とか、邪とかレッテル張りする感覚はなんとも驚きだが、こうした論者は、界隈では「アベウヨ」とも呼ばれているようだ。わかりやすい形容である。

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