公安警察を“焼け太り”させるための共謀罪

あれは1999年8月。参院法務委員会を傍聴したときだったと記憶する。盗聴法(通信傍受法)の委員会採決のその日、傍聴者は多くが一般市民だったにもかかわらず、公安警察の面々が繰り出し、国会の入口で一人ずつ写真撮影していた。

現在、国会審議で取り上げられることが増えた共謀罪の新設法案(テロ等準備罪)について、今日付の東京新聞で“監視の日常化”を危ぶむ識者の声が紹介されている。法案の内容が犯罪の準備段階で罪を問う性質のものである以上、日頃からの監視活動が強化されることは論理的にいって間違いないからだ。そのため日常的な盗聴なども不可欠になる。

国会審議では「一般市民には適用されない」旨の首相答弁が報道されているが、国会答弁が法律の“担保”に何らならないことは歴史が証明している。この戦時には適用しないと国会答弁した国家総動員法が成立後すぐに方針転換のもとに適用され、近いところでは強制するものではないと官房長官が答弁していた国旗・国歌法はこれ以上はないほどの強制力をもって教育現場の締め付けに利用されてきた。

共謀罪の新設についても、結局は法律の適用・運用の問題になるだろうが、可能性として警察権力に手放しで力を与えようとするもので、警察性善説に立たない限り、理解できない代物だ。

過去に3回も廃案になったこの法案が当初国会に出てきたとき、「テロ対策」の文字はどこにもなかったとされる。それが、役人側からは公安警察の予算獲得・勢力拡大の意図のもと、さらに政治側の事情としては「五輪」を前に何らかの“点数稼ぎ”をしたい時の政府の思惑と一致した形で、今国会において浮上したというのが事の真相だろう。

 

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