もう一つの55年体制

一般に「55年体制」といえば、1955年に左右が統一された自民党と社会党の対立構造を指す言葉として知られる。社会党は96年に社民党に党名変更し、今ではほぼ消滅に近い。旧社会党勢力は複数の民主党など多くに分かれる結果となった。そのまま残っているのは自民党だ。一方で、もう一つの55年体制と呼べるものは今も温存されたままだ。

1955年に、同じく分裂していた日本共産党が統一され、再スタートを切っている。またこの年は創価学会員の候補者が初めて組織的に政界進出(統一地方選)した年として知られている。この流れが後の公明党につながっていく。つまり、「55年体制」は厳密には2つの意味があって、あとのほうの「55年体制」はいまもそのまま続いている。公明党と共産党は同じ階層に支持基盤をもち、同じパイで票の取り合いをしてきたとされる。

まして先進国の中において、共産主義政党が一定の議席を保持する国は、もはや日本だけだ。世界レベルの「絶滅危惧種」が日本でのみ生き残っている姿は、はなはだ奇怪ではある。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。